経営者の夢は海も超える

manager (9)日本屈指の経営者である宗一郎の夢はアメリカを変える。
ホンダは、昭和三四年、アメリカに進出している。
「革ジャンパーの暴走族しかオートバイに乗らないアメリカは販売が最も困難な国、ますアジアから」と結論を出した。
しかし、「世界一になるためにはアメリカにならなければならないと考えた宗一郎と藤沢武夫は、あえてその最も困難な市場を選んだ。 しかも、市場の状況とはまったく逆の50CCのスーパーカブから攻めて、アメリカのクルマ文化と「浪費性向」に挑み、それを変革しながら、アメリカ一の台数を誇るオートバイメーカーとなったのである。
アメリカで圧勝したホンダは世界一の二輪車メーカーとなった。
勝つためには勝たねばならない。夢や目標の実現吭【瓦の上にまかれた種もいつかは芽が出る】という信念を再強化する。
宗一郎が二輪車世界の夢の次に見た夢は、四輪車進出であった。
その夢は、二輪車のレースでグランプリを独占した二年後(昭和三八年)に軽自動車T360によって叶えているが、この四輪車開発の研究には二〇年ほどの歳月を費やしている。今、目の前の夢を実現するはるか前にすでに次なら夢を見ていたのである。
宗一郎が同時に、四輪の世界レースFIに出場の夢を見だのは当然だった。
昭和三九年に出場宣言したのだべその二年前に、FIレースか開催可能な鈴鹿サーキットを完成している。それは名神高速道路の竣工よりも数年早かった。
ホンダはその後、撤退による10年間の空白を経て昭和六三年に今
では考えられない大勝利を収めたが、それは、メキシコ初優勝からこ二年後、宗一郎が八一歳だった。
夢に向かって脱兎のように走るホンダは、一方で亀のようにはいつくばって決して勝負を投げない。
経営には両方の要素が大事なのである。